ハラハラ人生

昔と違い人に対し、言っていいことやっていいことを気にして生きなければいけない小難しい時代になったと感じる。

叱咤「がんばれよー」と言った励ましの言葉がプレッシャーになり、パワハラだと言われてしまったり、「良くやったねーお疲れ様」と肩をたたく行為をセクハラと言われたりすることは、ケースバイケースだが私には理解しがたい。

もちろん人によって受け取り方の違いや正義の価値観のずれがあることは理解できる。

しかしこれじゃ、威勢の良いべらんめい口調の江戸っ子や洒落っ気のあるボケと突っ込み好きな浪速っ子は生きていけぬ。

人として生まれたからには、決して一人では生きていけないわけで、愛情を持った激励や冗談、スキンシップなどの言葉や行動を通し協調性が芽生え、生きがい、やりがいをもたらす幸福に繋がると信じ、私の言動は今だハラハラだらけなのだ。

いやがらせや嫉妬、いじめなどの理不尽な行為は論外だが、日常生活において、たわいもない行為を過剰に「それ〇〇ハラです」と気にすることは、自分自身が弱者であると勝手に思い込み、人の誠意ある愛情が理解できぬ「弱ハラ」に思えるのだが。

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